脚注って使わなくなった

id:kzys:20050722:p2 経由。

本の脚注は読みづらいよ、という話。自分も脚注はあまり好きではない。文章を読む「流れ」が分断されるから。昔は自分も脚注を結構使っていて、Larry Wallよろしくジョークというか、脚注で面白いことを書く、なんてこともしてみたけど、脚注のたくさんついた本を読むに付け、その読みづらさに気づき始めたので、今は書籍を書く際に脚注を全く使わなくなった。「詳解RSSasin:4886487467)」にも脚注は一つもつけていない。

などといいつつ、はてなダイアリーガイドブックasin:4839914982)は大量に脚注があるけど、必ず注のついた部分の横に脚注(側注か?)がある。が、あれはそういう戦略でレイアウトされた本であり、むしろ本文と脚注を行き来してもらうことを前提に書いてあったりするので許可としてもらいたいんだけれども(だめでしょうか)、文章の下とか、ましてや違うページに注が書いてあったりというのはやはりちょっと読みづらいと思う。

書き手としては脚注を使うほうがたぶん書きやすい。本文中に含められなかったり、文章の方向が二またに分かれたり、文脈を切りそうなことを脚注に逃すって言うのは便利な手法だ。ただし、これは言ってみれば文章がforkしてしまうことだ。人間の思考って言うのはシングルタスクでforkできないので、処理としては割り込みになってしまうんだよな。聖徳太子なら大丈夫かも。